蓮乗院 本堂 蓮乗院 境内
 <由来>
 弘安8(1285)年、鎌倉に内乱が起り、極楽寺乗海忍性律師が難を避け、行基菩薩彫刻の弥陀の像を背負い甲州方面へ赴く途中、当地牧野の「堂ヶ尾」の地を卜して修禅の地と定め開山した。そして、弥陀の尊像を安置したお堂を「天徳堂」と名付けた。
 嘉元元(1303)年弟子の円海蓮乗法師の時、堂宇を梨本の地に移し、寺号を牧野山天徳寺と改めた。更に元徳年間(1329−1331)伽藍・梵鐘を懸け、先師の字を立て院号とし牧野山典徳寺蓮乗院と名付けた。寛永の始め、火災に遇い、元禄元(1688)年大鐘に移ったようである。その後、数度の復興を経て、文政12(1829)年現在の本堂を再建した。間口13間半、奥行9間、建坪123坪の伽藍で、棟梁は鎌倉の河内久右ヱ門直方と記録され、この時の檀頭神原五郎助の功労は絶大であったと伝えられる。
 関東法談所36院の一つであり、津久井33ヵ所観音霊場28番である。


【藤野町教育委員会より】
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