正覚寺 本堂 正覚寺 参道
 <由来>
 正覚寺の草創は、1100年程度前と言われ、相州鎌倉桐ケ谷の真言宗宝積寺派に属し、現在のバス停「石老山入口」南方20m先西側、不寝の馬場(いぬのばんば)の地に創建されたと言われる。嘉慶元(1387)年建長寺派第28世覚海禅師の法孫で、雲居寺開山鎌渓禅師の法嗣、雲潭玄陰和尚が開山している。永禄12(1569)年三増合戦のおり、武田勢帰陣の道明かりとして堂宇を焼き払われ、間の山南山麓、山口の末寺に移転する。
 第16世義海玄仁和尚の代、弟子の粗相にて堂宇を消失し、現在地阿津に再建。第19世天宗玄盈和尚の代に内外の寺容を整える。第16世を中興開山、第19世を再中興開山と称している。
 「新編相模風土記」に末寺二ヶ寺を有するとあるが、一ヶ寺は先の山口の末寺のことで、他の一ヶ寺は、四国今治二万石の領主小川祐忠が開祖となって建てた小川庵で、天保年間(1830−1844)に廃寺になったため、正覚寺に合併している。
 霊場本尊の観音像は、昔から子供の命名加持が行われたことから、名付け観音として知られている。境内には西行法師の歌碑、柳田国男の句碑、道祖神、木洞地蔵、五色椿、滝つつじ等があり、近時俳句寺として有名である。

【津久井観音霊場2008より】
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