善勝寺 本堂 善勝寺 山門
 <由来>
 弘法大師空海が諸国巡錫の折り、この地で毘沙門天の尊像を彫り祀られたことを開創としている。時は流れ明応9(1500)年、甲州都留郡上鶴島禅定院より宥興法印が善勝寺に入山し堂字の修復、再興を行ったことが『新編相模風土記』に記されている。この宥興法印を当山第一世として歴代住職が連なる。
 江戸時代には関東における古義真言宗の法談所36カ所の一寺を担い、紀州高野山の直末として、末寺18ケ寺を数えた。また千木良には上明神牛鞍神社と下明神月読神社の二つの鎮守社があり、別当を勤める。慶安2(1649)年には小田原北条より御朱印が下賜され、北条家の祈願寺として朱印地を賜わっている。慶安年間(1648〜1652)と文化5(1805)年に、裏山が崩壊する災害があり、堂宇を大破してしまう。その当時は、山の中腹(現在の墓地に辺る)に堂宇が建っていたが、度重なる災害のため現在地に移築されたという。
 境内には山門・本堂・鐘楼など記し、町指定の高野槙・枝垂れ桜など彩りを添えている。また、寺領地である相模川と底沢の合流にある一枚岩は弁天島と呼ばれ、岩頂の祠に宇賀弁財天を祀る。尊像は二度の盗難にあったため現在は当寺本堂にお祀りしている。
 本尊は毘沙門天、脇侍が弁財天・善賦師童子の立像。弘法大師像は不動、愛染明王を脇仏とし、寛永16(1639)年、鎌倉仏師後藤左近の作と銘あり。さらにもう一体の弘法大師像と阿弥陀如来像は共に室町時代の特徴を備える尊像。十二面観音・三面大黒天は江戸時代の作と多くの諸仏諸尊を祀る。
 寺宝としては、弘法大師ご着用の古納衣、狩野元信筆と伝わる12枚の鷹の絵図などを有す。

【津久井観音霊場2008より】
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墓地情報