功雲寺 本堂 内藤景定の墓といわれている宝篋印塔
<慨史>
 功雲寺の前身は、宝ケ峰西麗にあった耕雲庵です。応永15(1408)年に建てられたとされるこの庵を戦国期の築井城主であった内藤左近将監景定が開祖となり、根小屋に移して功雲寺と改めました。
 時の住職潮翁能音和尚は静岡県蔵春院から当寺に招かれたため、開山は蔵春院と同じく大綱明宗大和尚(最乗寺2世)となっています。
 内藤景定(天文3(1534)年3月27日卒)の子大和守景豊の時、徳川勢の平岩主税に攻められ、天正18(1590)年築井城は落城し、内藤氏はこの地を追われることになります。そのとき、、景豊は築井城の守護神であった道了権現(小田原最乗寺より分身勧請された)を徳川氏より50石のご朱印を下賜されました。当時相模国内で50石以上の朱印を下賜された寺は17ヶ寺程だそうです。
 寛文6(1666)年の文書には石高256石とあり寺領の大きさをうかがい知ることができます。往時には修行期間に50人の修行僧が集まること(本堂右額元禄5(1692)年)、寺代官をおいて内外の業務を行ったこと。七堂伽藍があったことなども古文書に記されています。
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